一瞬の雲間から見た天体ショー

5月21日の金環日食、6月6日の金星の日面通過と立て続けのイベントが、マスコミでも大きく取り扱われた。

いずれも日本の広い範囲で日中に見られるものであったことと、次に首都圏で見られるのが数百年後という珍しさもあって大いに盛り上がった。

元天文少年の私としても放っておけず、2009年の皆既日食で用意した250mm望遠のカメラとND8とND400のフィルターを準備して臨んだ。

5月21日横浜市旭区は雨模様で明けた。それでもカブスカウトの希望者とその保護者達と一緒に見る約束になっていたので、今川公園でチャンスを待った。
金環がもうすぐ終わるというその瞬間、薄くなった雨雲の向こうから、白いリング状の輝きが見えた時は、一同本当に歓喜の声を上げた。
雲を通すので、用意した日食グラスをするとかえって見えないぐらいで、肉眼で生の白い輝きを見れたのが望外の収穫であった。

写真撮影の方は、同様にND8とND400を重ねているとカメラで見えないので、途中何回もフィルターの組み合わせを変えることになり、結局露出の調節がうまくできなかった。

かろうじて撮った物のいくつかをここに紹介させていただく。
貴重な金環の写真と、大分日食が終わりに近づいたもの。



そして、6月6日。この日も横浜市は朝から分厚い雲に覆われていた。
もうすぐ通過が終わろうという13:30ごろ、一瞬雲が薄くなった時に撮ったのが次の写真である。
日面通過の写真は本当に難しい。露出オーバーになると太陽の明るさに手前の黒い星影は潰されてしまう。今回も一瞬のチャンスだった上に雲の様子が刻々と変わり、露出の調整もできなかった上にピント合わせも十分ではなかった。

それでも、黒い金星がなんとか撮れたのでひとり悦に入っている。
金星は普通輝くものでしか見れないので、黒い金星はこの時しか見れないのである。


二つのイベントとも、天候にはあまり恵まれなかったものの、一瞬のチャンスを与えてもらってかえって印象深いものになったような気がする。

次の天体ショーは何だろうか、楽しみである。

震災から1年

3月。あの日本を揺るがした大震災から丸1年が過ぎようとしている。
政治の問題などで、なかなか復興の歩みが進まないことが残念ではあるが、日本の良さや強さもあぶり出された1年ではなかったか?

震災直後、被災を免れた私たちは、一時は茫然としたものの、多くの人々が「何かしなくては」「何ができるのか」という思いに駆られたと思う。

私の所属するボーイスカウトの団でも、大学生、高校生の年代から自発的に「募金をしよう」という動きがすぐ起こった。

写真は昨年3月16日の相鉄線鶴ヶ峰駅前での募金風景である。
当団のスカウトの呼びかけに、近隣の同世代のスカウトが駆けつけてくれた。

スカウトは寒風の中、半袖で頑張った!

2回で¥278.108と、普段のユニセフ募金などとは全く違う反響に驚かされた。

ほとんど全ての人が何らか反応してくれて、なかには財布の中身をすべて差し出す人や、そのお金はご自分のために使ってくださいと心の中で祈りたくなるような方もいらした。

今自分ができる最善を尽くすこと、これが自然にできる人々は素晴らしいと思う。
その思いを強くし、人々の心の温かさを身にしみた体験であった。


一方、昨年夏以降は各被災地に赴くボランティアも急減しているという。

持続する支援を実現するために、新たな取り組みを考えていきたい。


以下蛇足…
上記街頭募金の後、帰宅すると「計画停電」真っ最中であった。
オール電化の我が家では、街頭で冷え切った体を温める術が無い!
仕方がないので腕立て伏せをして耐えた。
身の危険を感じたので、経済産業省東京電力の各HPから、計画停電憲法で保障された基本的人権に抵触するのではないかという意見を送ったが、これまでに回答はもらえていない。

不思議なこと (1)

今年こそブログも頑張ろうと思いつつ、なかなか書き出すまでの障壁を乗り越えられないで、結局1月も終わろうとしている。

そんな中、1月28日の朝刊の記事で不思議に思ったことがあった。
『M9級地震解明に全力』「文科省研究計画見直し 専門家100人参加」
という記事で、下図が載っていた。
東日本大震災を契機に、連動型巨大地震がクローズアップされてきている。
ここで報じられていることも、従来の「地震及び火山噴火予知のための観測研究計画」を見直し、広い領域の複数の大地震が連動して起こるM9級の巨大地震を集中的に研究するというものだそうだ。

筆者が不思議に思ったのは、想定する震源域が静岡県沖〜日向灘約750kmと、岩手県沖〜茨城県沖約500kmとなっていることだ。

関東周辺や北海道沖はなぜ含まれないのだろう?

関東周辺はプレートが複雑に入り組んでおり、富士山や伊豆諸島の火山活動もそのプレートの運動と関係があると読んだことがある。
日本最大の人口集積地域であり、政治経済の中心でもあるこの地域に直接関係する巨大地震は研究されないのだろうか?

研究対象として複雑すぎるというのはあるのかもしれない。
また、報道の内容が簡素化されていて、本当はこれらの地域を含む研究もメニューにはあるのかもしれない。

日本の英知を集めて行われるであろう巨大地震の研究に、関東周辺が取り残されて、実際に起こってしまった後で「想定外でした…」なんてことにならないように願いたい。

特にこの数日、富士五湖周辺を震源とするM4超級の地震が多発していることもあり、ますます違和感が募っている。

40年ぶりの蝶ヶ岳

先月初め、ほぼ40年ぶりに蝶ヶ岳に登った。

ボーイスカウト横浜第107団ベンチャー隊の「高度な野外活動」プロジェクトのインストラクタとしての登山だ。


40年前…、私は高校生だったが、この頃から大学卒業まで、毎年夏になると北アルプス穂高の涸沢を中心に山に入り浸っていた。

その年は梅雨明けが遅れ、涸沢でずっと雨に降られて体も装備もずぶ濡れになっていた。
仲間達と相談の結果、帰路は横尾から蝶ヶ岳を越えて安曇野に抜けることになった。

蝶ヶ岳は槍穂の展望台として人気の山であるが、この時は梅雨明け前の豪雨で、展望は全くなかった。そればかりか、安曇野への下山路も濁流で消えており、無理してトラバースした山腹から足を滑らし、あわや濁流に転落しかかるというおまけまでついてしまい、いまだに忘れることのできない山行であった。


今年ボーイスカウト横浜第107団の夏季キャンプは、友団横浜第98団とを松本市波田で実施した。
その活動の一環で、冒頭の「高度な野外活動」として、常念岳蝶ヶ岳上高地の一泊野営の縦走を行った訳である。

40年前果たせなかった槍穂の大パノラマを自分でも見たかったのと、登山初挑戦のベンチャースカウト(高校2年生)に、挑戦した者にしか分からない感動を味わって欲しいという思いで、老体に鞭打ってインストラクタを引き受けた。

未明に波田を発ち、一ノ沢登山口から常念岳まで標高差約1400mを一気に登りつめる。
朝から雲は厚かったが、常念乗越につくと本格的な雨になってしまった。
冷たい雨の中、常念から蝶槍までのアップダウンが想像以上にきつく、体力気力の衰えを悟らされるが、蝶ヶ岳三角点あたりから雨は止み、蝶ヶ岳ヒュッテ横幕営地では40年前とは違って、濡れずにテントを張ることができたのは幸いであった。

そして翌朝!
ついに40年前果たせなかった槍穂の大パノラマを堪能することができた。

北は大天井からもっと先、南は乗鞍からもっと先、という具合に遮るものはない。

素晴らしい景観の中、徳沢まで長い尾根を下り、観光客で賑わう上高地に無事到着した。

40年経っても槍穂の勇姿や、上高地から見上げる岳沢の美しさは変わらず、懐かしさとともに再びここに来れたという喜びを噛みしめることができた。


それにしても噂には聞いていたが、中高年が多いことと、軽快ないでたちの若い男女が多いことには驚かされた。

そういう変化の反映なのか、山頂の山小屋では大画面のテレビが映っており、ビールの自動販売機もありで、山と人との関わり方が変わってきたことを感じさせられた。
一方で、自分の力でアップダウンの苦しさを乗り越え、目まぐるしく変わる自然の中で許される、一瞬の眺望や花の可憐さに癒されるといった要素は、今も昔も変わらないものであることも確信できる。
恐らくここが登山の普遍的な価値のひとつなのではなかろうか。

幸い、一緒に登った高校2年生も、初めてということもあり相当苦しかったようだが、それを乗り越えたことは大変大きな自信なったようだ。
これからも登山を含めいろいろなチャレンジをしてくれることを願っている。

ノーベル賞受賞おめでとうございます

昨年12月に事務所を立ち上げて10カ月、4月にHPを開設して5カ月が経ちました。
おかげさまで、いくつかの企業の技術支援の仕事も始まり、ようやく技術士事務所としての活動の緒に就いたというところです。

本日はお二人の日本人がノーベル化学賞受賞という、誠に嬉しいニュースがありました。
ご本人と協力された方々の不屈の努力と精進の賜物であり、心から祝福をお送りいたします。

昨今の冴えない世情に沈む国民に、希望と勇気を与える慶事だと思います。

これを機に、このブログももっと活用して、自分自身や折角読んでくださる方々に、何かプラスになるようなメッセージを出してまいりたいと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。

利他の念い

2009年の土木学会全国大会(福岡大学)のメインテーマは「利他行の土木」でした。
行基菩薩は全国を巡り、利他の念い(おもい)で、その土地、民に必要な土木工事を行い、民々から心からの感謝をされました。土木学会では土木の原点として、行基の利他行に学ぼうというメッセージを発したのです。
利他とはもともと仏教用語で、心においては「愛」、行いにおいては「奉仕」という菩薩の境地を表します。相手にとって良かれとの念いで行動することで自らも生かされるという、この世に平和と繁栄をもたらす究極の極意です。
私は自分の非力さを知らないわけではありませんが、志高くこの言葉を屋号とすることにしました。